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    カテゴリ: 本日も撮影日和(MACの連載コラム)

    (このコーナーは管理人MACがシドニーの日系新聞”ジェンタ”に連載しているコラムを紹介するものです。VOL.22以前のコラムにもご興味のある方はここ、ジェンタのウエブ版でご覧ください)

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    VOL.25 あるアボリジニー女性との出会い!

    ある撮影の仕事で、6月と7月、2回にわけてダーウィン、カカドウーに行ってきました。熱帯雨林に囲まれた世界遺産であるすばらしいところ。そしてまた野鳥の宝庫としても有名。
    しかし今回の仕事、僕の気持ちは別な方にも少し気をとられていた、、、
    1ヶ月ほど前、とあるテレビ番組で、オーストラリアからざっとこんなレポートをしました。
    「カカドウーは世界的にも有名な観光地ですが、ここに別な意味で有名になってしまった“レンジャー鉱山”があります。実はここウラン鉱山。オーストラリアは世界イチの埋蔵量を誇り、ここはその象徴的なところ」
    「日本の東京電力も絡んでおり、ここで採れるウランが一部日本にも送られています。そしてつい最近、ここの鉱山の所有者でもある、地元のアボリジニーの長老の女性から国連宛に手紙が届き、『自分たちのところからとれたウランが間接的とはいえ、今回の福島の災害につながったことをとても悲しく思う。そして自分たちは今後この周辺でのこれ以上の鉱山開発をしないよう、できるだけ周辺に呼びかけていく。』とコメント」
    「実際に周辺のアボリジニー仲間でも、鉱山開発の権利だけ売れば一夜にしてオーストラリアでも指折りの億万長者になるのは目に見えているのですが、彼女たちは今後そういう方向には決して行かない、と強調していました」
    こんなレポートをしたあと、ここカカドウーにきたのですが、たまたまヘリで空撮の機会があり。空港のすぐ隣がこの鉱山。車で走っている分には看板があるだけで立ち入り禁止だし、全くわからなかったのですが、「空」から見たらなんとそのあまりの巨大さに絶句。こんなところに日本との接点があるのだと。
    さて、そして今回のロケでのもう一つの出来事。
    実はアボリジニーの方々の撮影の機会があったのですが(まあ、いつものように段取りは大変でしたが.汗)その中に、バッグやバスケットなどを、伝統的な手織りで作る女性がいました。名前はタニヤさん、45歳。とてもすてきな笑顔でこちらにどんどんと話しかけてくる。「日本の震災は今どうなの?」「日本のどこからきたの?」などなど。

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    聞いてみると実は彼女のおじいちゃんが日本人だとのこと!おじいちゃんの名前は「ナオキ」そしてお父ちゃんの名前は「シンゴ」と言っていた。どうもおじいちゃんは戦争で日本から来て(オーストラリアから見たら、唯一侵略をうけた国がわが日本だったのです!)捕まり刑務所に入っていたそうです。そしてその後、彼女のおばあちゃんと結婚することになったとか。
    そんなことを話す彼女に屈折のようなものはなかった。でも、やはり自分のルーツを知りたさそうで、いずれ一度日本に行くのが夢だとか。そして今回の日本の震災は本当に残念だと。
    この日ばかりは僕も撮影の仕事を終えて、しばし話し込んでしまいました。

    日本がこんな状況になってしまった今、先住民アボリジニーの生き方に何かしら学ぶべきものがたくさんあるような気がしてなりません。そういえばこのアボリジニーの人たちを紹介してくれたダーウィン在住の白人、コリンさんはこんなことを言っていたなあ。

    「They are the richest people without money」

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    (このコーナーは管理人MACがシドニーの日系新聞”ジェンタ”に連載しているコラムを紹介するものです。VOL.22以前のコラムにもご興味のある方はここ、ジェンタのウエブ版でご覧ください)
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    VOL.24 アボリジニーアートの伝道師、内田真弓さん

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    撮影の仕事をしていて、数少ない楽しみの一つは普段会えない人たちに会えること。それも日本人、オージーを問わずに。
    前回はシドニーのテツヤさんをご紹介させていただいた。実はそのテツヤさんの口添えもあって、今回ご紹介する内田真弓さんに会うことができました。これが数年前。しかしまたまた ご縁があり、このたびあるロケの最中にお会いすることができました。
    会うたびに感じる彼女の「ド迫力」は健在。何せ、僕の仕事仲間のMさんでさえ(ちょっと怖いぐらい仕事ができる頼りになる男なのですが)「いやあ、内田さんにはかなわない!」と言っていました。
    彼女、日本は茨城のお生まれ。元々は某航空会社のスッチー(死語?)、しかしその恵まれた生活に疑問を持つようになり一念発起!自分自身を見つめたいとうことで外国で暮らすべくまずはオーストラリアに語学の勉強にきたとのこと。そこでアボリジニーアートとの衝撃的な出会い。そのまま、アーティストの住む砂漠へ。アボリジニーたちの世界に飛び込む。そしてなんとついにはイニシエーションまで受けてしまったそうです。イニシエーションですよ、言ってみれば彼らに“同化”してしまったわけです。
    ちょっと余談ですが、僕たちの撮影の仕事、いろいろな無理難題も数多くあります。「あれを探してくれ、これを探してくれ」と。そんな中で特に我々コーディネーター泣かせのダントツ一位が、「アボリジニーの方達の生活を撮りたい」というもの。
    何せ彼らの住んでいるところは入りこむのが非常に難しい。
    普通のアプローチではまず無理。長老の方にお伺いを立てるのが普通なのだが、ここまでなかなか行き着かない。行き着いてもいつになったら返事が来るかわからない。さらに撮影許可がでても今度は本番に本当に彼らがスタンバイしてくれているかどうかわからない。「誰々が病気になったのでそのお見舞いに行っちゃった」とかで突然居なくなることも。なんというか、時間の観念、人生の概念、そういったものが我々とは全く違うのだ。そんなことで我々コーディネーターはこの問い合わせを受けるといつも胃が痛くなる。
    しかし、だからこそ彼らの生き方は面白いともいえる。アートも非常に刺激的である。何せ4万年の歴史と伝統があるんだから。今この時代だからこそ我々が学ぶことがいっぱいある気もするのだ。
    そう、そんな世界に内田さんはまさに体一つで飛び込んでいったのです。面白くないはずがない。きっと自分自身の内面を見つめるには最高の場所だったんだろう(と勝手に想像していますが)もうトカゲでもなんでも食べてしまったそう。こういった世界もいいな!と思う人は僕も含めきっと多いんだろうけど、彼女はそれをやってのけたのである。
    その彼女、今では超忙しくなり、日本でもいくつかの展示会を成功させている。最近は、アボリジニーアート以外に、「食」の伝道師にもチャレンジしているとか。
    実は今回の日本の震災、彼女の実家が茨城ということもあって大変だったようだ。でも、今回の再会中(シドニーの海の見える某レストランで)その話をした10分ほどはちょっと悲しげでしたが、それ以外は相変わらずの恐いもの無しのド迫力、この女性と知り合えば間違いなく、元気のお裾分けをしてもらえます。僕が保証人(笑)。

    内田さんをもっと知りたい方は、彼女のウエブサイトにどうぞ、、ここ。
    (上記写真もここから拝借しました)

    (このコーナーは管理人MACがシドニーの日系新聞”ジェンタ”に連載しているコラムを紹介するものです。VOL.22以前のコラムにもご興味のある方はここ、ジェンタのウエブ版でご覧ください)

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    VOL.23 TETSUYA さんの凄さ!

    先日ある番組ロケで、久しぶりにシドニーのテツヤさん(TETSUYA’S)にお伺いしました。世界で最も予約の難しいレストランの一つ、オーストラリアで最も成功した日本人、、、とか、その評判は圧倒的。
    今回彼にお会いしてまたまた懐かしい思い出がたくさん蘇ってきました。通常撮影でお伺いするときは、テツヤさんにほぼ半日−1日時間を割いていただき、レストラン全般、オープン前の慌ただしさ、お客様の様子、そしてテツヤさんのインタビューなどを撮るのが普通。ただ、一度、“情熱大陸”という番組で、テツヤさんを1週間ほど徹底的に追っかけまわしたことがあります。このときは、彼がいろいろな食材を仕入れたり、ジョイントベンチャーで開発しているタスマニアなんかにまでついていったりと、それはそれは盛りだくさんの充実したロケでした。日本からのスタッフもなかなかユニークな強者たちで、あとになっても、テツヤさん自身「あの撮影が一番面白かった!」と言ってくれているので、こちらもうれしい限り。
    で、そのときは、カメラがないところでも、呑んだり食べたりしながらいろいろとプライベートな話題で盛り上がりました。
    テツヤさんの凄さはあちこちで語られているので今更僕が説明するほどのこともないと思います、いろいろな武勇伝もたくさん。ただ一つだけ僕がとても印象に残ったことを本人のご承諾なしに(笑)ご紹介。
    テツヤさんは、もちろんシェフとしての腕前は当たり前に凄いのですが、彼のマネジメントの“顔”もこれまた凄い。
    彼自身、何もなかった自分(彼は日本で、シェフの経験ゼロ、それでワーホリでシドニーに来て皿洗いから始めた)をここまでにしてくれたオーストラリアに非常に感謝している。国籍も、既にオーストラリアに変更。
    ただ初期のころ、彼はスタッフを使う部分で相当苦労をしたよう。ご存知の通りオージーはかなりのんびりしている。日本のような徒弟制度もない。そんなスタッフを使うのは初期のテツヤさん(英語も多分ままならず)としてはそうとう難しかったと思う。「あれっ?」というようなスタッフがいても、なかなか首を切れないのがこちらの事情(法律的にも)。しかしテツヤさんには、「お客さん第一主義」とでも言うべきしっかりした哲学があった。そのため、意にそぐわないスタッフがいると、彼(女)に説明してそれでもどうしようもない場合は、まずは、他のスタッフへの悪い影響の方を心配したそうだ。こんな言い方をしていた。
    「腐ったリンゴを一つ入れるとすぐに他のリンゴも連鎖して腐ってしまう」
    そのため、テツヤさんはどうしようもないスタッフの場合は、即刻首を切ったという。僕もこの国に長いので、スタッフを切る難しさはよくわかる。余分な出費や下手をすると、逆に訴えられることも多い。
    そんな危険を冒してでもテツヤさんがこだわったレストランに対する哲学みたいなものが垣間見える。やはりこれ以上は引けないとでも言うべき“覚悟”があるのでしょう。
    そんなテツヤさん、今ではスタッフはほぼ全員がオージー。スタッフが自主的に和気あいあいと仕事をしている。「強制」でもなんでもなく、テツヤさんなりの哲学と、「チームワーク」の大切さが浸透しているのだ。

    tetsuya


    (写真はテツヤさんのweb ページより)

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