(これはオーストラリアのユニークスポット・ベスト10です。観光スポットとしてベストと言う意味ではありませんのであしからず。不便なところも多いです。いや、むしろ不便なところベスト10に近いかも。また管理人MACの独断と偏見ですよ、くれぐれもあまり信用しないように!)

皆さん聞いたことあります、木曜島って?

オーストラリアの地図を見てもほとんど見つけられない、まず載っていないような小さなところ。
観光客に人気のスポット、ケアンズからさらに北上し、ケープヨーク(岬)の突端のまたさらに北にある小さな島、これが木曜島なのです。

木曜島4


実はこの島、我々日本人にとっては、とっても関わりの深いところです。

時代をさかのぼること、明治から昭和にかけて・・・そして第二次世界大戦までと続きます。
まだまだ日本の貧しい時代、そして「真珠貝」、「高瀬貝」がとても重宝がられた頃です。
当時ここ木曜島がその採取地として脚光を浴びていました。

そのために、世界中のダイバーたちが、一攫千金を求めここにやってきたと言われています。
そして、この日本人ダイバーたちが、まさに「オーストラリアにやってきた日本人」としてはほぼ一番最初なのです。(厳密に言うと、その少し前に、日本人サーカス団一行が来ていて・・・これはこれでまたとても興味のある話しなのですが、それはさておき)

ただその当時はまだまだお粗末な採取方法。潜水技術も遅れていたし、当時のヘルメットを見ても恐ろしく大きく、そして重たい。
そのためか、潜水病になったりで、怪我人、死者が絶えない状態であったと聞きます。
(事実この海で、日本人ダイバー約700人の貴重な命が喪われたのです。)

木曜島1木曜島2














各国から勇んできたダイバーたちも、そんな状況を目の当たりにし、「命あっての人生」、ホウホウのていで祖国に逃げ帰ったそうです。
そんななか、日本人の大半はそのまま、ここ木曜島に居残りがんばった。
どうも、「がんばる」精神は、日本人が根本的に持っている遺伝子、DNAのようなものかもしれません。
いちおう日本人の「後輩」としてはこの「勇気」、ぜひ引き継いでいきたいものです。

僕は、ここに1995年の戦後50周年企画で、某番組の取材でお邪魔して以来、ちょっとしたご縁で、何回か訪れる機会をえました。島では、「現役最後の日本人ダイバー」藤井さんも亡くなられ、当時のことを知る「生き証人」はいらっしゃらなくなってしまいましたが、でも、そのご子孫たちが元気に生活されています。

「RAINBOW HOTEL]はそんな藤井さんの娘さんの経営。
我々が訪れたときも非常に親切に対応いただきました。
子孫の日本人の方たちは島でローカルの方たちとご結婚された方たちもおおく、しかしとても逞しく生きています。
島では、まだなんと「なまこ」なんかが残っていて(言葉としても)、日本人として、ついつい、うれしくなったりします。

そして、この島の隅っこにひっそりとあるのが、日本人墓地。
僕も訪れるたびに、お参りさせていただいてます。
無縁仏も多く、ちょっと寂しい。手入れも大変で随分荒れつつある。
茂木ふみかさんという、もと読売新聞にお勤めの方が、ボランティアーでこの墓地の維持に専念されていました。お会いしたのは、もう10年以上前。今頃どうされているんだろう?
当時は確かシドニーと神奈川の生活を半々にされていましたが・・・。
素敵な方でした。

また僕の尊敬する日本の「良心」司馬遼太郎さんの短編「木曜島の夜会」でも、ここの真珠ダイバーの物語が紹介されています。興味のある方はぜひご一読を。お勧めです。

島自体は車で一周わずか30分程度。
とにかく海が真っ青なのがとても印象的。
そういえば、隣の金曜島で、真珠の養殖をしている日本人の方がいます、高見さんといったかな?
取材のときにも大変お世話になりました。
ここで、常時、アルバイトをやってくれる、若者を求めていたように記憶します。
個人的には、ワーホリでオーストラリアに来ている若者には、つまらない(?)都会にいくより、ずうっと楽しい、貴重な経験ができると思う。ここでアルバイトをしていた若者も、眼が輝いていた!
いいですよ、素朴で、野性っぽくって。

僕たちのような永住者にとってはいわば彼らは先達。頭が下がります。

日本人の「先輩」たちに、感謝です!


木曜島3